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■冷やし中華の発祥には「仙台説」と「神田説」がある

仙台「瀧亭」説

 冷房が無かった当時、中華料理店では夏の売り上げ低下が深刻だった。「仙台支那料理同業組合」(現・宮城県中華飲料生活同業組合)の組合長で龍亭の初代店主だった四倉義雄氏が組合員と共に夏用のメニューを考案するため勉強会を重ね、1937年(昭和12年)に「涼拌麺(りゃんばんめん)」を開発しました。

 これは冷やした麺に切ったもやしとキャベツ、メンマ、トマト、チャーシューを載せ、少なめの醤油味のタレをかけたものだったと言います。
 この時点では冷やし醤油ラーメンのような味で、後に一般的となる甘酸っぱい味では無かった。当初の値段はラーメンの2倍だったとのこと。
 これは多数の観光客が集まる仙台七夕の際に売れる目玉商品となり、通年で提供されるようになりました。
 現在でも龍亭は醤油ダレかごまダレをかけ、具を別な皿に盛った「涼拌麺(元祖冷やし中華)」を提供しています。また仙台市内の中華料理店では同様に通年で提供する店も多くあります。

神田「揚子江飯店」説
 細切りの具を彩りよく盛った現代風の冷やし中華の原型は、五色涼拌麺(五目冷やしそば)と名付けられ東京の神田神保町の揚子江菜館で、第二次世界大戦後または1933年(昭和8年)に創作されたとされます。
 2代目オーナーの周子儀が、上海で食べられていた、もやしと細切りの肉を冷した麺に乗せて食べる涼拌麺と、ざるそばから着想を得たとされる。様々な細切りの具を皿の中心から放射状に盛る独特の形式は、富士山とそこに積もる雪をイメージして作られたという。

富士山の四季を彩る飾り、チャーシューは春先大地の色、きゅうりは夏、煮込んだタケノコは秋の落葉、糸寒天は冬の雪、錦糸卵は山頂の曇を模したとされる。

仙台発祥説を裏づける根拠

 創作されたとされる時期は、神田「揚子江飯店」の方が4年ほど早く、それだけを見れば、神田説が有力です。
 また、名前も、瀧亭は「涼拌麺」で、揚子江飯店は「五目涼拌麺」とあり、どちらも同じ涼拌麺で、揚子江飯店の方が早く開発したのではないかと思われます。※現在は、どちらも「発祥の店」としてPRしている 。
 確かに、「冷たい中華そば」という意味での提供は、神田「揚子江飯店」の方が早いのかもしれませんが、「冷やし中華」という名称の始まりは、仙台説が有力とされています。
 仙台説が有力視されている理由には、単なる口伝ではなく、比較的具体的な歴史的事実が記録として残っていることもありますが、大きな要因として「冷やし中華」という呼び名自体にあります。

◆呼び名による根拠
 冷やし中華という名称が一般的になった現在でも、関西は「冷麺」、北海道は「冷やしラーメン」(東北の山形では、冷製スープに入れたラーメンを指す)、東北の一部では「冷風麺」とも呼ばれる。では、冷やし中華の「中華」は何を意味するのか。もちろん、単純には「中国(or中華思想)」を表しますが、一般的には「料理」や「麺」と結びついて表現されるもの。
 しかし、昭和初期から、東北地方では「中華」は「ラーメン(当時は中華蕎麦またはシナ蕎麦と呼んだと思われる)」を指す言葉として認識されており、その習慣は今でも残っているという説があります。
 「冷やし中華」という名前は「冷やした中華そば」というイメージと思われますが、「中華」だけを採ってみると、大変奇妙な呼び名に見えます。
 その点、東北地方で「中華=ラーメン(中華蕎麦)」という認識が一般的であれば、当初「涼拌麺」とされたものが、一般名称として「冷やし中華」と呼ばれるものになって行ったということが、容易に想像できます。
 本格的に全国区になったのは、1960年代に入り、仙台の製麺会社「だい久製麺」が家庭用の液状タレ付き「元祖だい久 冷やし中華」を発売したことが全国展開の転機となったとされており、また、同時に、家庭用の冷蔵庫が普及したことが拍車をかけたとされています。
 そうした背景を考えても、「冷やし中華」という名称の始まりは、仙台「瀧亭」ではないかと思われます。


そもそも「涼拌麺」とは
「涼拌麺」とは、中国の四川省や上海などで食べられている汁なしの和え麺です。茹でた麺と具材をタレで和えて食べる中国発祥の麺料理で、茹でた麺を水で締めることはせず(うちわ等で冷ます)、細切り肉やもやしなどの具材を載せ、ゴマやピーナッツベースの濃厚なタレや黒酢などで和えて食べます。
冷水で締めて提供するのは、日本独自の発想で、醤油ダレかごまダレをかけ、甘酸っぱい味で提供するのも、日本オリジナル。

■「冷やし中華始めました」の張り紙は いつから?
のぼり 今や、町中華などの店頭で見かける「夏の風物詩」となった張り紙や幟(のぼり)ですが、これも、仙台市の麺類業者や食材卸店が、顧客への販促物として印刷して配布したという説があります。
 しかし、既に有力な証拠となる印刷物や記録は失われており、完全に正確な時期と、どこから始まったのかは分かっていません。
 1970年代〜1980年代 にかけて、ラーメン店や中華料理店が「夏季限定メニューの開始」を客に知らせるために、手書きの張り紙を出したのが口コミやメディアで広まったとされています。

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